斎藤学の怪我がひどい?移籍先や移籍金も詳しく調べてみた

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今年に入り、移籍を発表したばかりの斎藤学選手。移籍先は川崎フロンターレとのことです。移籍金はかかったのでしょうか?また昨年9月にされたという怪我についても気になりますね。斉藤学選手は、どのように移籍先を決めたのか、また移籍金はどのくらいかかったのか?怪我の具合についても詳しくみていきましょう。

また長年、横浜Fマリノスで活躍をされていた斎藤学選手の移籍には、様々なことが言われていますが、一番心を痛めたのが横浜Fマリノスのサポーターだと言われています。その横浜Fマリノス時代から移籍に至るまでも詳しくまとめてみました。

斎藤学と横浜Fマリノス

では最初に、斎藤学選手のサッカーの経歴をみてみましょう。
斎藤学選手は、小学校時代に横浜マリノスプライマリーに所属し、中学、高校時代の2003年から2008年には横浜Fマリノスジュニアユース、横浜Fマリノスユースに所属し、2008年から横浜Fマリノスに所属し、2009年にはトップチームに昇格しました。
2011年には愛媛FCに期限付きで移籍をし、J2リーグ戦で14得点を挙げました。そして2012年には横浜Fマリノスに復帰し、同年にロンドンW杯の日本代表選手に選出され、2013年にはフル代表デビューも果たしました。
また、横浜Fマリノスで最終的には伝統の背番号である「10」を与えられ、キャプテンにも就任しました。

このように、斎藤学選手は幼少時代からずっと横浜Fマリノスに所属をし、活躍されていました。

では次に、昨年9月にされたという斎藤学選手の怪我はどの程度の怪我だったのでしょうか?詳しくみていきましょう。

斎藤学の怪我は?

斎藤学選手は2017年9月23日に行われたヴァンフォーレ甲府戦で「右膝前十字靱帯損傷」の怪我をし、全治8ヶ月の重傷を負いました。
怪我は現在も完治しておらず、インスタグラムなどでもリハビリの様子を投稿しています。
斎藤学選手は、怪我をした数日後にツイッターで以下のようにコメントされています。

「怪我しました。多くの人の期待を裏切る事と共に、自分自身の目標だったことが遠のいていく辛さ。
でも、ロシアのW杯もマリノスの優勝も、海外でのプレーも諦めずに追いたいと思います。
俺は元気に前をみて進んでます。
なので、残りの試合マリノスへこれまで以上の声援をお願いします。」

と、横浜Fマリノスの優勝や海外でのプレーも諦めないというコメントをされていました。

そんな大きな怪我を負ってしまった斎藤学選手ですが、横浜Fマリノスのサポーターからは熱い声援があったそうです。

斎藤学の怪我で横浜Fマリノスサポーターからの感動の横断幕

昨年9月の大怪我は、斎藤学選手にとって精神的にもダメージが大きく、横浜Fマリノスの優勝に貢献できないくやしさや、ロシアW杯への出場が遠のく辛さに誰よりも心を痛めていたかと思いますが、そんな斎藤学選手を誰よりもサポートしていたのが横浜Fマリノスのサポーターでした。
怪我の直後に行われたJ1第28節のガンバ大阪戦で、市立吹田サッカースタジアムのゴール裏では斎藤学選手を後押しする「学待ってる」や、「学とタイトルとりたい」という様々なメッセージフラッグが並んでいました。

また、選手がウォーミングアップに現れると、サポーター達は「学と一緒にW杯」という大きな横断幕を掲げ、背番号「10」のジャイアントフラッグを揺らしていました。
この時に、斎藤学選手の好きなアーティストであるNOBUさんの「いま、太陽に向かって咲く花」という歌をサポーター達で歌っていたそうです。
また、試合前と試合後、選手や監督も斎藤学選手の早期復帰を願うメッセージTシャツを着用していました。
こうした温かいサポートに斎藤学選手もツイッターで「全部伝わっています」「こりゃ、リハビリ頑張らないと」、「俺も負けてられませんー」などとコメントしています。

斎藤学選手がサポーターやチームのメンバーからとても愛されていたことが感じられますね。しかし、こうしたサポーターの気持ちも悲しく、斎藤学選手はチームを離れる事となってしまいました。
次に、斎藤学選手の移籍先についてみていきましょう。

斎藤学は川崎フロンターレへ移籍

海外でのプレーも先に見ていた斎藤学選手でしたが、移籍先としてどこを選ばれたのでしょうか?
まず、2016年12月に斎藤学選手の契約が満了するタイミングでは、ドイツ2部ボーフムが斎藤学選手を獲得しよう動いていることが明らかになっていました。
この時に斎藤学選手には他にも川崎フロンターレなどからも移籍先としてオファーがあったものの、合意には至らずに2017年1月30日に横浜Fマリノスに残留を決定していました。
この時の横浜Fマリノスとの契約は1年で、欧州模索の為だと言われています。
しかし、2018年1月12日に、斎藤学選手自身のドリブルと攻撃力を高く評価してくれ、2年連続でオファーをした川崎フロンターレを移籍先とすることが決定しました。

斎藤学選手は、移籍先の川崎フロンターレに対しては「まずはしっかりと怪我をなおし、最高のプレーができるよう頑張ります。応援よろしくお願いします。」とコメントしました。

また、この移籍に関して「裏切り」だとも言われてしまっていますが、その事に関して斎藤学選手は長文のコメントを綴っています。
次にその斎藤学選手のコメントを掲載します。

斎藤学、移籍についての長文コメント

斎藤学選手は川崎フロンターレに移籍する事に際し、クラブを通して以下のように長文のコメントを発表しました。

8歳から育ててもらい、愛媛FCでの1年を除き18年間お世話になったF・マリノスを離れる決断をしました。昨年、キャプテン、10番と責任をもらいながらも、ふがいないプレーや満足のいく結果を残せない僕に、たくさんの声援を送っていただいたこと。9月の大けがの際も、本当にたくさんの声、手紙、千羽鶴、ビックユニホーム。本当に本当に勇気付けられ、辛いリハビリも日々続けてこれました。この移籍は、その恩をあだで返してしまうことになってしまいました。僕はこの移籍を挑戦と捉えてます。より難しいところにチャレンジしたいという想いが、今まで育ててもらったクラブでもない、キャプテンでもない、また一から自分を作っていきたいという想いが、F・マリノスを離れるという決断を後押ししました。F・マリノスで、優勝するという想いは道半ばにして僕はチームを離れますが、横浜F・マリノスというクラブが強くなっていくことを願っています。選手、スタッフ、会社の方々、ファン・サポーター、スポンサーの企業の皆さまへ感謝の想いとF・マリノスに関わる皆さんに良き日が訪れますように。今まで育ててくれたマリノスアカデミーのコーチたち、ここまで成長させてくれてありがとうございました。どんな時でも諦めず、最後まで一緒に闘ったファン、サポーターの皆さん、今まで本当に多くのご声援をありがとうございました。これから先もずっとF・マリノスのユニホームを着てチームメートと共に闘いキャプテンとしてプレーしていたことは、僕の誇りです

と綴られています。

さて、横浜Fマリノスではキャプテンとして活躍されていた斎藤学選手ですから、移籍金も高かったのではないかと思いますよね。移籍金はいくら位なのでしょうか?詳しく調べてみました。

斎藤学の移籍金は0円?

スポーツ選手の「移籍金」と聞くと、何億?なんて想像もしてしまいますよね。そんな中、斎藤学選手の移籍金はなんと0円だそうです。俗に「0円移籍」と言われるそうです。
なぜ0円かと言いますと、そもそも移籍金がかかる条件として「契約満了で移籍する」か、「契約の途中で移籍する」かという違いになります。斎藤学選手の場合は、契約満了時に横浜Fマリノスから川崎フロンターレへの移籍になりましたので、斎藤学選手には移籍金(契約違反金)を支払う必要がなかったとのことです。
この、「0円移籍」に関しても横浜Fマリノスのサポーターの気持ちとしては、とてもやるせない思いが募っているというコメントが多く見られました。

斎藤学プロフィール

本名:斉藤学(さいとう まなぶ)
生年月日:1990年4月4日
身長:169cm
体重:68kg
血液型:A型
出身地:神奈川県川崎市幸区
出身校:川崎市立川崎高等学校

斎藤学の怪我がひどい?移籍先や移籍金も詳しく調べてみたまとめ

移籍を発表したばかりの斎藤学選手ですが、移籍された理由は「これまで積み上げてきたものやチーム内での立場、ここで一度リセットして、いちから始めることが更なる成長に繋がる」との事です。
横浜Fマリノスのサポーターの方にとっては寂しい思いも強いかと思いますが、怪我を早く完治し、斎藤学選手の今後の更なる活躍に期待したいですね。